語るように歌うこと
女性問題でテレビのインタビュアーにコメントを求められた玉置浩二さんが突然歌を歌いだした・・・
それをテレビで観ていたフライド・プライドのヴォーカルShihoちゃんは「この人は日本一歌が上手いんじゃないか」と驚いたそうです。
玉置さんって本当に女性が大好きなんですねぇ。。。
インタビュアーに囲まれてコメントしにくい状況の中で突然歌いだすというシチュエーションもいかがなものかとは思いますが、そんな状況でプロのヴォーカリストをも感嘆させてしまう歌を歌ってしまう玉置さんも凄いです。
Sing Like Talking をこれでもかと感じさせてくれる歌を歌える数少ないヴォーカリストだと思いますが、「語るように歌う」って普通はできないんじゃないかと思うのです。
やっぱり歌うように歌ってしまうものなんじゃないかなぁ。。。
勘違いしてしまうヴォーカリストだとボブ・ディランのように歌ってしまうかもしれませんし・・・喜んだり、怒ったり、哀しんだり、楽しんだり・・・我々は普段の生活の中で様々な感情を言葉にして誰かに語りかけます。
その言葉は、明るかったり、荒々しかったり、静かに震えていたり、温かかったりして、我々の心にストレートに伝わってくるわけで、それは誰もが意識せずとも簡単に相手に伝わります。
しかし、「歌う」という表現となった途端に簡単には伝わらなくなるのはなぜだろう?
それは歌うように歌うからなんじゃないだろうか?と思うのです。
我々はわざわざ伝わりにくい「歌う」という行為で表現したくて仕方がないのはなぜだろう?
伝わりにくくなるのにメロディーに言葉を乗せたくなるのはなぜなんだろう?
そして、メロディーに乗せた言葉の数々が我々の心に届いた時、こんなに感動してしまうのはなぜなんだろう?
我々は音楽というものが、歌というものがなぜこんなにも好きなんだろう?
ぽんきちはなぜ言葉を持たないギターという楽器で歌いたいと欲しているのだろう?
ベーシストもドラマーもピアニストも言葉を持たないのに、なぜ彼らは歌うように表現したいと思うのだろう?
みんな語りたいんじゃないかな?
いろんな想いを歌という声の表現で、楽器という声の表現で、語りたいんじゃないかな?
誰かに語りかけたいんじゃないかな?
誰かに聴いて欲しいんじゃないかな?
自分がここにいるということを伝えたいんじゃないかな?
おしまい