よくよく考えてみると、自分のギターアレンジについてmixi時代からもブログで詳しく語ったことはないような気がしますが・・・どうだったかなぁ?(・・;)
ぽんきちはアレンジが得意なギタリストという認識をしている方々が多いのかもしれませんが、実は10年くらい前までは苦手な分野でした。
10代の頃は全くできませんでしたねぇ・・・一応、ロックバンドをやっていましたが、今思うとそれはそれは酷いアレンジでした・・・パワーコードでガガガガって弾いてるだけみたいな感じでした。
20代でテンションコードに興味を持つようになってからはポップスを作曲するようになり、自分の曲は少しアレンジできたかな?
30歳くらいの時にメンバーのオリジナル曲を演奏するポップスバンドをしていましたが、どうアレンジしていいやらわからず、もう一人のギタリストに自分のパートをアレンジしてもらったこともありました(^_^;)
いつ頃からそれなりのアレンジができるようになったのか?自分でもよくわからないのですが、40歳くらいの時にはコピーバンドでも独自のアレンジで弾くようになっていたので、おそらく40歳前後だろうと思います。
つまり、ぽんきちはそれまではコピーはできてもアレンジは得意ではなかったのです。
42歳の時にアコースティックギターで音楽活動をするようになりましたが、それまでずっとエレキギターで活動していたにも関わらず、自分がアコギアレンジができるギタリストだということに初めて気が付いたのです。
30代まではあれほどアレンジが苦手だったのに、なぜアレンジが得意になったのか?
自己分析してみますと、どうも徹底的にコピーバンドを長く続けていたのがよかったのではないかと思います。
ぽんきちはオリジナル曲を作る才能がないと悟った20代後半からはひたすらコピーバンドで活動してきました。
ビートルズ、パンク、ポップス、ディスコソウル、バードロック、ファンクロック・・・40歳になるまでに様々なバンドを転々としたのですが、その間にアコースティックギターも好きだったので家ではよく弾いていました。
その頃はすでに弾き語りはしなくなっていたので、歌モノの曲をアコギでインストにしてしまう遊びをよくやっていたのですが、それがよかったのかも?
42歳になってアコースティック・ユニットで活動することを決めた時には、自分でも驚くほど自然にアレンジができるようになっていました。
つまり、エレキギターでいろんなジャンルのバンド遍歴を重ねながら、アコギでも自由にアレンジして遊んでいたことが今のぽんきちを形作ったのだと思います。
それと、ぽんきち世代のギタリストには共通していると思いますが、自分が気に入った曲はなかなかタブ譜が売ってなかったりすることが多かったのです。
洋楽志向だったので尚更お気に入りの曲の楽譜が見つからなくて、いわゆる耳コピーが中心にならざるを得なかったのです。そのおかげでコピーが早くできるようになりました。
時代の変遷に伴って、それはカセットテープ→CD→MD→PCでの耳コピーになりましたが、何回も聴き返すのでMDプレイヤーは一台ぶっ壊しました(^_^;)
意外とカセットテープレコーダーが一番丈夫だったりしましたが、今はPCで簡単にピンポイントで一時停止ができて、何度も繰り返し聴けるので便利です。
読者の方々が一番興味あるのは、ぽんきちのアレンジ手法なのかもしれませんが、これは説明できるかなぁ?音楽理論がよくわかってないからね(・・;)
アレンジも曲によりけりですが、あっという間にできてしまうことが多々あります。
例えば、イントロの8小節のアイデアが浮かぶと後は一気に出来上がったりします。
最近では、百恵ちゃんのプレイバックpart2は久しぶりに苦戦しましたねぇ・・・これアコギ一本でアレンジするのめっちゃ大変ちゅーか、昭和歌謡って難しいんですよね(^_^;)
だいたい、レイぽんでもTeTeでもいわゆる「ぽんきち節」のアレンジになってしまうのですが、それは最初のユニットであるmilky noteの頃から徹底して変わらないぽんきちのアレンジスタイルになっています。
ただ、自分のアレンジ手法については説明が難しいので、この続きはまた気が向いたら書きたいと思います(^_^)ノ