大晦日って感じが全然しないままなんすけど(・・;)
とりあえず今日の夕方、佐伯駅に着きました。
フェリー着き場には何百年も続いている島の伝統行事のポスターが・・・少子化問題が深刻なだけに、地域ぐるみで郷土の伝統行事を守ろうとしているのが伝わってきます。
フェリー着き場の上空ではトンビの群れが旋回していた・・・トンビはもっぱら単独行動ばかり見ていたので、群れているのは珍しいですね。
ぽんきちの実家に着きました。ブリの刺身が驚異的に美味かった(o゚▽゚)o
姪っ子が大分からお手伝いに来ていました。年齢的に母一人ではおせち料理などの食事の準備も厳しくなってきたようです。
佐伯市の郷土料理になるのかな?右側がクジャクです。左上の黄色い蒲鉾も卵が入っていて美味しかった。
大分のお酒と言えば「西の関」ですが、今夜は京都のお酒「松竹梅」を熱燗で・・・なかなかイケる(*^^*)
そんなこんなで2014年も終わりつつありますが、ぽんきちは故郷の島で年越しです。
今年の6月からスタートした「ギタリストぽんきちのブログ」ですが、なんとか半年間更新し続けることができました。
来年も毎日更新を目指して書き続けますので、これからもよろしくお願いいたします。
読者の皆様もよい年をお迎えください(^_^)ノ
父と息子の永遠のテーマ
音楽なんて馬鹿な夢を持つな!そんなもので食っていけるわけがないんだ!!
若き日のぽんきちが父から言われた言葉です。
ぽんきちは若者は夢を追いかける生き物だと思っています。
ぽんきちには子供がいませんが、親は子供の幸せを願う生き物なんだということはわかります。
若き日のぽんきちには夢がありましたが、25歳までにその夢が叶うきっかけが掴めなければすっぱり諦めようと決めていました。
学生だったぽんきちにとって25歳なんてあっという間です。きっかけも掴めず、自分のこれからの生き方を決めなければならない時期は否応なくやって来ました。
毎日、これからどう生きるべきかを悶々と悩む日々が続きましたが、完治しない特殊な病気を抱えて生きなければならないこと。そして、結果的に親孝行になる生き方になることを考え、大きな組織に所属して働く道を選びました。
これはどこの家庭にもある親子の永遠のテーマだと思います。
自分の好きなことを仕事にしたいと願う息子と、しっかり自立できる現実的な考えの持てる大人になって欲しいと願う父親・・・
ぽんきちは今思うと夢見がちな若者でしたが、その反面とても現実的な考えもできる若者だったんだなと。
25歳までというタイムリミットを決めていたのがその証拠です。
当時のぽんきちは読書家だったのですが、ある方の本に「現実的な夢が持てない人間はただの馬鹿だ」と書いていたことも影響していました。
あれから25年の歳月が流れ、組織の中で働く人生を送っていますが、その間に入院を3回し、そのうち2回は大きな手術も経験しました。
若き日の自分の決断は間違っていなかったと思っています。
しかし、ふと周りを見渡すと、自分と同世代やその前後する世代の大人たちが非正規雇用で働くことが当たり前の世の中になってしまっている現実・・・
未来を描くこともできず、不満だらけでもこのまま逃げ切るしかない生き方をしている大人たちが溢れている。
自分を守ってくれる組織はいつ消えてしまうかもわからない不確かな時代・・・たとえ大きな組織であろうとも、確かなものなど何もない時代になってしまった。
もう国民全体で豊かになる時代はとうの昔に終焉を迎えています。
ぽんきちは最近よく思うのです・・・これはいったい何なんだと。
こんな世の中にするために俺たちは一生懸命に働いてきたのかと。
夢を捨てて現実だけを見つめて生きてきた結果がこんな世の中ならば、若者に夢を見るななどと言えないじゃないかと。
ぽんきちの父は今年83歳になりました。
残された人生はもうそんなに長くはありません。
大きな手術もしてずいぶん心配もかけたけれど、父が望む生き方も自分なりにしてきたつもりです。
結婚したものの子供ができず、孫の顔を見せてやれなかったのが唯一の心残りではありますが、それ以外は少しは期待に添えたかな?と思っています。
ぽんきちはブログを毎日書くようになりました。
未来の自分のために書いているのですが、どうせ書くならば、そこでぽんきちは夢を語りたいと思うようになりました。
50歳を過ぎて、また夢を語ってもいいんじゃないかと思うようになったのです。
多くの良識ある若者たちが夢を捨てて生きる世の中がどうなるか・・・それは今が証明しています。
だから、ぽんきちは夢を語りたいと思っています(^-^)
ぽんきちFacebook(お気軽に申請どうぞ。基本承認致します)
ぽんきちTwitter(フォローどうぞ。基本フォロー返しします)
ぽんきちGoogle+ (フォローどうぞ。基本フォロー返しします)
ギタリストぽんきちプロフィール
ぽんきちのアコースティックギター講座
ユニットの出演依頼、サポートギターの依頼等はこちらにお願い致します。
心に仏がいないから
淋しいのは心に仏がいないから
悲しいのは心に仏がいないから
苦しいのは心に仏がいないから
ぽんきちが気にかけている友人が、散歩の途中に出会った石碑に刻まれていた言葉をFBで紹介していました。
大昔の人々は自分の心の中にこそ救いがあることを知っていたのかもしれないなぁ・・・
そして、自分という人生を生きながら相手を思いやることの難しさも、この言葉からはひしひしと伝わってきます。
50年生きていても気の利いた言葉さえかけてやれない自分がいて、情けないぽんきちは大好きなコースケさんの歌にすがるしかないのです。
雲に隠れた お月様
煙に巻かれた うさぎ様
居場所を求めて あちこちと
合わせていける 生きものと
合わせられない 生きものと
ああ 生きている
それもまた 楽しい
ああ 生きている
それがまた 哀しい
ああ 生きている限り
美しくあれ
闇があるから 光る月
ぽんきちフェイスブック(お気軽に申請どうぞ。基本承認致します)
ギタリストぽんきちプロフィール
ぽんきち2015年1月のライブスケジュール
1月10日(土)ちょっとバー木馬(福岡市博多区中呉服町2-20博多中央ビルBF1)
オープン19:00
スタート20:00
チャージ500円+要1ドリンクオーダー
木馬は36年の歴史あるライブバーで、レイぽんは28回目の出演です♪
[出演ミュージシャン]
cotorie
水落久嗣
レイぽん
http://www.7272.jp/0922710280/
ちょっとバー木馬
1月11日(日)福岡市博多区中洲3−7−24 ゲイツセブンビル7F
チケット前売り:2500円(当日:3000円)+1ドリンク:500円
オープン 17:00
スタート 17:30
[出演ミュージシャン]
1.アタックチャンス
2.TeTe(Vo:中原菜摘 Gu:ぽんきち)
3.川下直広(テナーサックス)&波多江崇行(ギター)
4.ALNESS(コースケさん率いるエレクトリックバンド)
5.d.W.p - ダンシング・ワウワウ・パラダイス - (ギタリスト平春さん率いるソウルバンド)
http://gates7.com/
※前売りチケットは受付で取り置きできますので、ご希望の方はFBイベント告知の「参加する」をクリックするか、メール等でぽんきちに直接ご連絡ください。よろしくお願いいたします。
1月17日(土)Bar「おとぼけコースケ」
場所:福岡市中央区西中洲1−6 西中洲Aビル3F(国体道路沿い シダックス横の有料駐車場の3軒右隣)
20:00 オープン
21:00 ライブスタート
チャージ2000円(1ドリンク込み)
[出演ミュージシャン]
久保 隆司(BONTA・すらごとや)
TeTe
http://www.haruyoshi.jp/old/banryu/90/90.html
おとぼけコースケ
今年もレイぽんとTeTeで大変お世話になりましたm(__)m
2015年のぽんきちのライブはレイぽんが1本とTeTeが2本でスタートします♪
これまでどおり、ちょっとバー木馬のレイぽん定期ライブは2〜3ヶ月に一回、おとぼけコースケのTeTeマンスリーライブは毎月第3土曜日にそれぞれゲストミュージシャンを迎えて行います。
1月は3年ぶりにGate's7ホールでのライブもあります。
来年はこれまで演奏してこなかった場所でのライブも機会があればやっていきたいと思っています。
2015年もレイぽんとTeTeをよろしくお願いいたします(*^^*)
ショーダンサー&行政書士のニューハーフ 依田花蓮さん
ブロガーのかさこさんが好きを仕事にしている人たちをインタビュー形式で紹介している「かさこでいいかも!」
これまで何人かが登場していますが、ぽんきちが観た中で一番面白かったのが依田花蓮さんです。
ニューハーフとして働いているだけあって話がとても上手ですね(^-^)
自分が好きなことをパラレルキャリア(兼業)として仕事にしている生き方の魅力をわかりやすく語っています。
好きなことを仕事にすると食べていけない・・・それならばひとつの仕事に拘らず、掛け持ちして働く生き方もある。それを実践している人の話を聞くのも面白いですね(^_^)ノ
27歳で死にたい
27クラブ・・・27歳で死んでしまった伝説のロックミュージシャンたちの総称として有名ですが、カート・コバーンは唯一ピストル自殺なので確信犯的に27クラブの一員になったのか?
27クラブの詳細については下記のサイトが参考になります。
http://giver.jp/archives/13999
27歳の頃、ぽんきちは何をしていただろう?
ちょうど今の仕事を始めた年で、ピカピカの新入社員でした。
その前年は勉強のために1年間音楽活動を休んでいましたが、ぽんきちの長い音楽人生の中で音楽から離れていたのはあの1年間だけでした。
人生を賭けた就職活動で本当に大変でしたが、とにかく生きるために必死な時期でした。
自分はこれで生きていくんだという強い信念があの頃にはあった・・・エレキギターを弾いてバンドメンバーも自分で集めて音楽活動も再開していました。
それから手術もして、結婚もして、バンドメンバーとの死別も経験して、離婚もした。
そして、エレキギターをアコースティックギターに持ち替えて、ぽんきちと名乗ってアコースティック・デュオで本格的に音楽活動を始めたのです。
辛い現実を乗り越えるために無我夢中で音楽にのめり込んでいった。
ぽんきちは苦しいことも嬉しいこともたくさんあったけれど、27歳から両足でしっかり大地を踏みしめて生きてきたような気がします。
そして、50歳になって今までとは違う大地を踏みしめてみたくなった・・・もっと心を解放できる生き方をしたくなったのです。
これからの10年はそのために試行錯誤しながら生きていくんだと思います。
宝石は原石を磨くことで輝く
写真はダイヤモンドではなくオパールですが、こんな自然石が本当にこの世の中に存在するのかな?
もしも存在するなら欲しい気もするけど、ぽんきちにとって石は不吉な運命をもたらす鬼門のアイテムなのでやはり手にしてはいけないのです。
さて、最近は「瑠璃色の地球」「Sweet Memories」と、たまたま聖子ちゃんのナンバーを紹介するブログが続いたので、ぽんきちにとって彼女のベスト3となる最後の一曲である「瞳はダイヤモンド」も紹介しておきます(^-^)
この歌の作曲者は呉田軽穂・・・往年の大女優グレタ・ガルボから名付けたユーミンのペンネームであることはあまりにも有名な話ですが、若い読者は意外に知らないかもしれませんね。
ぽんきちはこの曲のギターアレンジが大好きなんです。
「ロックン・ルージュ」「秘密の花園」「ガラスの林檎」など、他にも大好きな曲はたくさんありますが、聖子ちゃんの楽曲はどれもめっちゃクオリティが高くて、今聴いても本当に凄いと思います。
大滝詠一、細野晴臣、財津和夫、松任谷由実など、当時の日本の音楽シーンをリードするアーティストたちがこぞって彼女のために曲を提供していたわけですから、とにかく最高品質のJポップを生み出し続けていた時代だったのがよくわかります。
誤解を恐れずに言うならば、松田聖子という歌手は最後の本物のアイドルだったかもしれないと思います。
30年以上もソロの歌手として、今でも第一線でアイドルとしての歌を歌い続けているのは彼女くらいじゃないかな?
アイドルとして、芸能人として、常に注目されゴシップにもまみれてきた彼女は本当に強い女性だなと思います。
普通の神経だったら耐えられないんじゃないかなぁ・・・きっとずっと闘い続けてきたに違いないのです。
娘の沙也加ちゃんはミュージカルの世界で活躍しているそうですが、今はソロのアイドル歌手の時代ではないので、自己表現の場所としては賢い選択だったかもしれません。
声優の養成学校にも通い、オーディションありきのミュージカル女優と声優という職業のプロフェッショナルを目指しているようですね。
母の強さを受け継いで逞しく成長していく女優になっていくような気がします(^-^)
泣かせる味じゃん・・・ペンギンのクリスマス
ぽんきちはペンギン好きです。
mixi時代から繋がっている読者はよくご存知だと思いますが、学生時代にサントリーカンビールのCMを観てからすっかりお気に入りになってしまいました。
聖子ちゃんが歌うこのナンバーとこのペンギンキャラクターが醸し出す世界観に、若き日のぽんきちは尋常ならぬときめきを覚えたのです。
そのためか、ぽんきちにとって聖子ちゃんナンバーの不動の1位は今でも「Sweet Memories」なのです。
30年以上経ってもペンギンに対する愛着は消えることなく・・・
この度、相方にこんなレザークラフトを作ってもらいました!(o゚▽゚)o
これで同じmonoのギターケースを持っているギタリストと同席しても間違えることはありません!!
ぽんきちにとってはこれが最高のクリスマスプレゼントなんです。キター!!(゚∀゚)
プレゼントを自分で選ぶ人 プレゼントする人と一緒に選ぶ人
昨日、ブッチさんのラジオ番組を聴いていたら、プレゼントを自分で選ぶか?相手と一緒に選ぶか?という話をしていましたが、世間一般にはどうなんだろう?
12月はぽんきちの誕生日とクリスマスなので相方は大変なんです(^_^;)
我々はお互いに一緒に選びますね。最初ぽんきちは相方のプレゼントを自分で選んでいましたが、基本的に相方は何も要らないと言うのです。
はっきり言ってぽんきちにはセンスがなく、それをよくわかっているから相方はそう言ってるに違いない(@_@)
結論として、ミスマッチを無くすには一緒にプレゼントを選ぶのがベストということがわかったので、今は一緒に選ぶことにしています。
だって、せっかくプレゼントしたなら使って欲しいし、プレゼントされたなら使いたいよね(^-^)
ぽんきちは思うのですが、誰かにプレゼントできる人生って素晴らしいと思うのです。
ぽんきちには音楽の相方もいるので、長年お互いに誕生日のプレゼントはしていまして、恋人に贈るような高価なものは買えませんが、ちょっとした贈り物はしています。
最近はレイさんとなっちゃんの誕生日プレゼントは相方に選んでもらうことが多くなりました。
毎年なので何をプレゼントしたらいいかわからなくなるし、ぽんきちのセンスでは危ういのです(・・;)
ライブステージで使えるものを中心にプレゼントすることが多くなりましたね。
やはり女性の方がセンスあるし、音楽の相方から貰うプレゼントにもぽんきちは満足しています。
12月は寒いのであまり好きではなかったのですが、ボーナス月だし、お互いにプレゼントできるので最近は好きになりましたね。
あ・・・写真のジジはぽんきちが選びました(^_^)v
瑠璃色の地球とTeTeの未来について
さやかちゃんを身ごもり、音楽活動を休止していた聖子ちゃんがさやかちゃんを出産後に復帰第一弾として発表したのが「瑠璃色の地球」です。
ぽんきちにはこだわりがあって、洋楽カバーユニットであるTeTeで邦楽カバーを演奏するつもりは全くありませんでした。
しかし、コースケさんから再三に渡り「なぜ邦楽カバーをしない?日本語の曲もやりなさい!」と言われ続けて、ついにぽんきちも長年に渡り守り続けてきたポリシーを捨てて邦楽カバーをTeTeで演奏することにしたのです。
ただ、それはTeTeがおとぼけコースケでしかライブできないユニットだったからです。もし、いろんなお店で自由にライブできていたら邦楽カバーはやらなかったと思います。
唯一お世話になっているお店のオーナーであるコースケさんの期待に応えたかったというのが一番の理由でした。
いざ邦楽をカバーするとなった時に、選曲ではあまり悩まなかったですね。ぽんきちもなっちゃんもこの曲が大好きで意見が一致したので決まるのも早かったのです。
なっちゃんの夢はお母さんになって3人の子供を育てること・・・聖子ちゃんが出産後に初めて歌ったこの曲の世界観は、なっちゃんにとっても憧れなのかもしれません。
作詞家の松本隆さんは、母親になった聖子ちゃんが歌うべき曲として、優しい慈愛に満ちたスケールの大きな歌を作りました。
母なる地球をテーマにしたこの曲は、ぽんきちにとって聖子ちゃんの代表作の中でもベスト3に入るかも?
なっちゃんがTeTeで活動できるのは結婚して子供ができるまでです。
そのタイムリミットはリアルに感じられるようになりつつありまして、TeTeが活動できる時間もそんなに多くはなくなってきています。
子供は3人は欲しいと言ってますから、ぽんきちはTeTeの音楽活動の休止期間は10年とすでに覚悟を決めています。
ですから、来年から少しライブ本数を増やすのも、それまでにしっかり歌っておきたいというなっちゃんの願いと、TeTeというユニットを通じてギタリストとしての存在感を広くアピールしておきたいというぽんきちの願いと、それぞれの想いが一致した選択でもあります。
TeTeの活動休止期間はとても長くなるので、おそらくぽんきちは新しいユニットでの活動をスタートさせる日が来ると思います。
レイぽんというぽんきちにとっては最長寿となる不動のユニットとまだ見ぬ新たな表現のユニット・・・オリジナルなのか洋楽カバーなのかも今はまだわかりませんが、ライフワークとしてのアコースティック・ユニットの活動はこれからも続けていくつもりです。
なっちゃんの夢は3人の子供のお母さんになることですが、歌うことは一生続けていきたいそうですから、10年後にTeTeは復活するのでしょうね・・・たぶん。
その時には、ぽんきちは60代前半の爺さんで、なっちゃんは40歳前後の主婦になっているはずです。
ぽんきちには子供がいないので、娘代わりのなっちゃんの子供はぽんきちにとっては孫みたいなものです。
いつか、そんな孫たちにもTeTeの音楽を聴いてもらえたら、親子ユニットで活動してきた醍醐味の極みだと思っていますし、まだ見ぬ未来が楽しみで仕方ないぽんきち爺さんです(^-^)
点滴をしながら書くブログ
昨夜のおとぼけコースケでぽんきち今年最後のライブは無事に終了しました。
今年もたくさんのミュージシャンと対バンしたし、お店の方々にもお世話になり、たくさんのお客様にライブを観て頂きました・・・ありがとうございました(^-^)
ぽんきちは数日前から体調が絶不調で、毎日病院での点滴と自宅療養を命じられています。
そのため、昨日は点滴が思ったより時間がかかり、スタジオ練習に30分以上遅刻してしまったのですが、ライブのことは病院の先生と職場の人たちにはさすがに言えないです(・・;)
現在のぽんきちの職場は誰かがサポートできる仕事内容なので、組織というのはこういう時はありがたいと思います。ただ、TeTeの伴奏は自分にしかできないので、インフルエンザじゃない限りは演奏しますね、さすがに(^_^;)
昨夜はいつもどおりにライブをし、短めの打ち上げのあと帰宅。久しぶりにぐっすり眠りました。
対バンのINN6からは阿蘇の豆腐店で買ったという美味しい豆腐をもらった。
なっちゃんからは誕生日のプレゼントをもらった。ぽんきちはなっちゃんを娘と思っている。昨夜は少し元気が出た。
そして、相方からは温かい鍋料理を作ってもらった。早く体調が良くなりたいと心底思った。
思い通りにならない体調不良が続く時は何事にも気力が湧かなくて、集中力も衰えるわけで、仕事や音楽についてもいろいろ考えますね。
でも、とりあえず今ぽんきちは幸せだ・・・幸せを噛み締めています。
クリスマスツリーという宇宙
青色発光ダイオードのなせる技でしょうか?クリスマスツリーがまるで宇宙のように美しく輝いています。
日々いろんなことが我々の人生にはあるけれど、宇宙規模で考えればすべてはとてつもなく些細なことに過ぎない。
仕事でストレスを感じたり、人間関係に悩んだり、思い通りに物事が運ばなかったり・・・そんなことに振り回されていっぱいいっぱいになったりもするけれど、宇宙規模で考えれば人生なんて粉塵みたいなものだ。
嫌なことがあって心をすべて支配される時期もあるけれど、宇宙の歴史からすればそんなものはまばたきのほんの一瞬に過ぎない。
心にいつも宇宙を持とう
我々の人生は宇宙の中のほんの一瞬の輝きであることは否定しようのない事実なのだから
・・・と考えれば少しは気が楽になると思ったけどね。
頭の中はスペースワールドにはなれんぜ( ̄∇ ̄)
どうしても体調が思うようにならない時
ぽんきちは原因がよくわからないのですが、年に一度くらいですが急に気分が悪くなり立っていられなくなることがあります。
それは大寒波が押し寄せたある日の朝に突然やってきました。
地下鉄の駅までは普通に歩いて行けたのですが、駅の構内で電車を待っていると突然気分が悪くなってきました。
このまま電車に乗ったら確実に吐くと思い、自宅に引き返すことにしたのですが、歩いて5分の距離にも関わらず途中我慢できず朝っぱらから道端で吐くサラリーマンぽんきち・・・(^_^;)
家に着いてもまずはトイレで吐くぽんきち(>_<)
さすがにここまでくると仕事を休んで一日中寝て過ごすわけですが、食欲が少し出てくると梅干しを食べます。
熱い緑茶と梅干し・・・ぽんきちは爺さんのようにほぉ〜としてまた寝ます。
そして、また熱い緑茶と梅干しでほぉ〜としたらまた寝ます。
あまり寝続けると頭が重くなるので、爺さんのようにほぉ〜とする時間も必要なんです。
以前はこんなことはなかったので、やはり手術の後遺症なのかもしれませんが、ある日突然やってくるのが困ったものです。
こんな時はとにかく息を潜めて眠る獣のように・・・まぁ実際は爺さんのようにですが、ひたすら回復するのを待ちます。
ぽんきちの場合は年に一度のこのような症状に加えて、毎日悩まされている症状もありますが、こればかりは自分に与えられた試練なので受けて立つしかないと思っています。
今回は厳しい寒さが堪えたのかもしれません。世の中には思い通りにならない体調不良で苦しんでいる人がたくさんいるに違いありません。諦めてしまえばお終いですし、気合いを入れ続けても疲れてしまいます。
与えられた試練の時間の長短は人それぞれですが、未来にはトンネルを抜けて暖かな日差しが降り注ぐ日の訪れを信じる・・・そのために今できることを地道に続けることが大切ですね(^-^)
忙しい人ほどマメに更新する
ぽんきちが毎日ブログを更新するようになって7ヶ月になりました。目標は60歳の定年退職までだから先はまだ長いなぁ・・・(^_^;)
ブログをやっていない方からすると、毎日更新するなんて大変というか、よっぽど暇なんだろうなと思われるのかもしれません。
ぽんきちからすれば、忙しい人ほどマメにブログを更新するものだと思います。
たぶん暇な人ほど自分から発信しないんじゃないかな?
2年半前までは今の倍のライブ本数をこなしていたし、仕事も今よりもはるかに忙しい時期があったにも関わらず、ぽんきちはかなりマメにブログ(当時はmixi日記だった)を更新していました。
自分自身の経験からしても忙しい人ほどマメにブログを更新するものだと実感してますし、活動的な人生を送っているからこそ情報発信する事柄や形にしたい思いがあるのです。
特にSNSは情報発信する人がいてこそ意味のあるツールだと思います。なるべくなら自分から情報発信する人が増えるとSNSはもっと面白くなるんでしょうけれど、それにNo!を唱える人の気持ちも分からなくはない。
SNSで情報発信する人は自分の意見を持った人。情報発信しない人は自分の意見を持たない人なのか?
ぽんきちは決してそうとも言えないと思っていまして、情報発信しない人は面倒くさいことになるのが嫌なんじゃないですかね?過去に炎上したことがあったり、否定的なコメントで傷ついたり・・・そういう経験をしたことがSNSで完全に受け身の姿勢にさせている原因なのかもと思ったりします。
しかし、ブログについて言えば、コメントの投稿を承認制にしたりブロックできるわけですから、自由に情報発信するのがネットの健全な姿だと思いますし、情報発信する人が増えるほどネットは面白くなるでしょう。
もし、発信することを恐れている人がいるならば、それは杞憂かもしれません。少なくとも誰かを批判する内容でない限りは炎上することもないでしょうし、発信することの楽しさを知ることはネット社会の醍醐味でもあるからです。
それでも毎日ブログを更新するのはやはり大変です。思いつくままに時々情報発信するのがいいかもしれませんね。シェアやリツィートばかりだと自分の意見のない他人の意見ばかりの世界になってしまいますから。
たぶん毎日ブログを更新する人はビジネスを意識している人だけなんじゃないかな?ブログのテーマとビジネスの融合を意識している人は自分にノルマを課してでも更新し続けるのです。
ビジネスを意識しないのであれば緩く更新してたまにアウトプットすることを楽しむのが宜しいかと。
人生にはアウトプットも必要です。できるならばネガティブな内容ではなくポジティブなものがいいし、ネガティブであってもそれを他人に向けるものではなく自分自身に向けたものならば害にはならない。
毎日ブログを更新しているとアウトプット過多になりがちで、たまに苦し紛れのブログになってしまうのが玉に瑕です(・・;)
ぽんきちの場合は、これからの人生をいかにアクティブにできるかにかかっていると思います(^_^;)
お前は暗いと嘲笑された
今のぽんきちを見て世の中の同世代ギタリストはどう思うのだろう?
二人の女性ヴォーカルとユニットを組み、それぞれ洋楽と邦楽のカバーで毎月あちこちでライブをしている。
たまにエレキギターを弾いてバンドでもライブする。
50代のオヤジギタリストとしてはあまりにも恵まれた環境で生きていると誰もが思うのでしょうか?
ぽんきちには忘れられない思い出があります。
20歳くらいの頃、大学近くの民家の二階に間借りしていたのですが、当時真向かいの部屋に合気道部の先輩が住んでいました。
体育会系ですから合気道部の仲間たちが毎日先輩の部屋に遊びに来ては酒を飲んで大騒ぎなわけです。
ぽんきちも彼等とは仲が良かったので、ぽんきちの部屋にも彼等は出入りしていました。
ある日の昼間、ぽんきちは黙々と部屋でギターのスケール練習をしていました。当時から自分にノルマを課していて、基本練習は欠かさずしていたのです。
すると突然、合気道部の先輩の一人が部屋に入って来て、今からどこかに遊びに行くようでしたが、ぽんきちを見て彼は「お前、昼間っから暗いことをしよるのぉ」と嘲笑ったのです。
ぽんきちは「え?」と答えにもならない反応しかできなかったのですが、先輩が笑いながら部屋を出て行ったあとも黙々とスケール練習を続けました。
当時のぽんきちは彼女もいなかったし、お金も車もなかったし、ギターのスキルは現在の10分の1程度の実力でした・・・当然アレンジも満足にできないギタリストでした。
ただ、先輩が立ち去ったあと心の中で「今にみていろ・・・」と、強く心に思ったことは今でもはっきり覚えています。
あれから30年の歳月が流れましたが、ギターのスキルは当時よりも確かにアップしました。それは才能がないから黙々と練習を続けてきた結果に過ぎません。
だから、ぽんきちのギターのスキルについて羨ましいと思われる方がいるならば、それは違いますよと言いたい。
今まで練習をしてきてたどり着いた程度にしか弾けないだけなんですから。
ぽんきちは同世代のギタリストから羨ましいと言われて反論しないのは、相方と出会えた幸運についてだけです。
こればっかりはどうしようもありません。いくら練習を積み重ねても、音楽的に相性の良いメンバーと出会える保証などどこにもないからです。
もしかしたら一生出会えないギタリストもたくさんいるのかもしれません。
ぽんきちはこれまで本格的な活動ができるユニットを3つ持つことができましたが、これは幸運だったと素直に思っています。
そして、ぽんきちと同じような幸運に恵まれて音楽活動ができているミュージシャンは他にもたくさんいますが、おそらく全体の音楽人口から見ると我々のようなタイプは多くはないのかもしれません。
たまたま同じような境遇のミュージシャン同士が仲良くなりがちなので、相方が見つかることが特別なことではないように感じてしまうだけで、本当は奇跡に近いコラボがユニットの実態・・・特に化学反応を起こしているユニットはそうだと思います。
30年前の自分と現在の自分はあまりにも違います。幸運としか言いようがない出会いがなければ今のぽんきちはなかった。
それは謙虚にそう思っていますが、30年前の若き日のぽんきちが心に強く思った気持ち・・・あれがなかったら今のぽんきちはなかったとも思っています。
そして、あの時の気持ちは今も完結していません。
ストイックな積み重ねでしか実現できないことがあると信じていますし、それは年齢が何歳になろうとも目指していきたいと思っています。
ぽんきちFacebook(お気軽に申請どうぞ。基本承認致します)
ぽんきちTwitter(フォローどうぞ。基本フォロー返しします)
ぽんきちGoogle+ (フォローどうぞ。基本フォロー返しします)
ギタリストぽんきちプロフィール
ぽんきちのアコースティックギター講座
ユニットの出演依頼、サポートギターの依頼等はこちらにお願い致します。
一番幸せを感じる瞬間がある
ぽんきちが一番幸せを感じる瞬間があります。
おそらく、ほとんどの方はぽんきちにとってのその瞬間は、ギタリストとして最高の演奏ができた時だと思うのでしょうね?
ぽんきちが一番幸せを感じる瞬間は、温かいご飯を食べている時です。
特に真冬に美味しい鍋料理を食べている時などは至福のひとときなんです。
ぽんきちは音楽的にストイックな生き方をしているので、確かにギタリストとして最高の演奏ができることを目指しているし、それが実現できたらとても嬉しい。
ただ、音楽以上にストイックな生き方もしているので、大切な人と温かいご飯を食べている瞬間に勝るものがないのです。
ぽんきちは難治性の病気のため7年間、真冬でも温かい食事ができない日々を送っていました。
それは3年近く前まで続いていましたが、独り暮らしということもあり、基本的に液体の流動食だけでカロリーを補給する生活でした。
たまの食事は外食で、仲間たちとのコミュニケーションとして必要最低限な範囲内にしていました。
だから、およそ7年ぶりに自宅で温かいご飯を食べた時に、言葉にできないくらい感激したのです。
特に真冬の鍋料理は、人間の幸せがここにある!!とまで思いました(^_^;)
今も基本的には流動食なんですが、週末には馴染みの居酒屋にも行くし、お腹に優しいご飯も頂いています。
これはぽんきちのような特殊な生き方をせざるを得ない人にしかわからないとは思いますが、どんなに音楽を愛していようとも、大切な人と一緒に食べる温かいご飯には何ものも勝ることはないのです。
ぽんきちには音楽の夢があるけれど、人間として噛み締める根本的な幸せは普通の人と変わらないし、それこそが人生で最高に幸せな瞬間なんです(^-^)
FBで繋がっていない読者のための写真集 〜TeTe クリスマス編〜
日曜日の夕方、天神でのクリスマスイベントの写真です。
大丸パサージュ広場の特設ステージで演奏するのは2年半ぶりでしたが、とにかく寒かったです(^_^;)
TeTeはこの2年半の間、基本的に月に一度おとぼけコースケでしかライブをしていなかったのですが、これからは月に2本くらいのペースで音楽活動ができるようになります。
最近、なっちゃんとこんな話をするようになったばかりなんですが、不思議なことになぜか屋外イベントやホールでの出演依頼のお話を立て続けに頂くようになりました。
まるで音楽の神様がタイミングを見計らったかのように活動を促す流れに変化してきましたので、自然の流れに逆らわずにライブをしていこうと思っています。
TeTe演奏時間の変更について
真冬のあまちゃん
さぶ、さぶ、寒い〜(>_<)
昨夜から博多の街もすっかり真冬の寒さになりました。
あまちゃんのテレビ放送が終わって一年以上になります。
ロストあまちゃん状態・・・ぽんきちもロスあまの時期がありましたが、今ではすっかりマッサンの夢を支える外国人妻エリーの健気な姿に「ええなぁ〜(o゚▽゚)o」と惚れ惚れする始末(^_^;)
あまちゃんを演じた能年玲奈ちゃんを見ると、ぽんきちはなぜか二十歳くらいだった頃の切ない感情が甦ります。
少年と大人の狭間で揺れていた微妙に不安定だったあの頃の感覚は、年齢を重ねる度に忘却の彼方に押しやってしまいがちですが、何かの拍子にふと思い出されたりするのです。
あまちゃんを演じた少女はそんなスイッチの役割をしているかのようです。
それでも若い頃の記憶というものは日々少しずつ消えていってしまっていると実感します。最近は特にそれを顕著に感じていて、あの頃のことを思い出すこともないし、思い出せないですね(・・;)
ぽんきちはいつも未来のことばかりを考えているからでしょうね・・・そう言うと聞こえはいいのですが、年金不安や特殊な病気を抱えるが故の老後のこととか、現実味を帯びて考える年齢になってしまったからやね(^_^;)
将来に対する不安のない人などいないんでしょうけど、夢を追求するおいさん代表ぽんきちも度々この得体の知れない不安に駆逐されそうになります。゚(゚´Д`゚)゚。
いつもポジティブなぽんきちブログのぽんきちさんなのに?
ぽんきちだって人並みに将来の不安はあります。だからこそ自分に気合いを入れることが大切なんですな!!
不安を抱えながら生きても、夢を見ながら生きても、日常的な暮らしぶりはそんなに変わらない・・・生きるための仕事や趣味を楽しむことは誰もがある程度はできているし、それだけで殆どの時間は費やされていきます。
それならば、不安で萎縮した生き方ばかりしているのは勿体ない。
誰もが同じ24時間という日々が繰り返されるならば、毎日少しずつ夢を叶えるための何かを続けていく生き方をするのは無駄ではないんじゃないかな?
あまちゃんを演じた少女を見て、あまりにも早く諦める生き方を選択した若き日の自分を思い出すならば、もう若くはない今の自分は何を思うのか?
生まれてから10代までは春
20代から30代までは夏
40代から50代までは秋
そして、60代からは冬・・・
真冬のあまちゃんに出逢った時、ぽんきちは何を思うのだろう?
叶うならば、後悔のない春夏秋冬だったと思いたい。
終わり良ければすべて良しと思える人生は、これからの生き方にかかっているのは間違いないです。
TeTeマンスリーライブのお知らせ♪
12月20日(土)Bar「おとぼけコースケ」
場所:福岡市中央区西中洲1−6 西中洲Aビル3F(国体道路沿い シダックス横の有料駐車場の3軒右隣)
20:00 オープン
21:00 ライブスタート
チャージ2000円(1ドリンク込み)
[出演ミュージシャン]
INN6
TeTe
http://www.haruyoshi.jp/old/banryu/90/90.html
おとぼけコースケ
今月でおとぼけコースケでのマンスリーライブも丸4年となり、来年からは5年目に突入します。
4年前の11月にINN6と一緒におとぼけコースケでライブしたことがきっかけとなり、翌年1月からTeTeマンスリーライブはスタートしました。
そんな縁もあり、一年の締めはやはりINN6でしょう!!ということで、今年こそは彼らとの締めライブを実現したいと思います(過去2回は実現せず)(^_^;)
その前に、14日の日曜日ですが、午後6時にTeTeは大丸パサージュ広場の特設ステージで演奏します。
クリスマスソングを演奏するよう依頼されているので、おそらくはクリスマス関連のイベントだと思いますが、TeTeは2曲だけ演奏する予定です。
日曜日の夕方、天神でお買い物される方はぜひ遊びに来てください(*^^*)
今年最後のTeTeもよろしくお願いいたします(^_^)ノ
10年続ける覚悟を持つこと
バンドを同じメンバーで10年続けることは簡単なことではありません。
ほとんどのバンドやユニットは10年以内にその活動の終わりを迎えます。
ぽんきちが最初に仲良くなった関西のユニット「ナカシオン」はmilky noteより半年ほど早く活動を始めていたと思います。
当時、ヴォーカルのシオンさんが話していたのですが、ある日、ユニットを辞めたいとボイトレの先生に打ち明けたところ、「やると決めたからには10年続ける覚悟を持ちなさい!」と言われたのだそうです。
音楽活動をしていますと様々な悩みが生じるものですが、シオンさんの先生は彼女の悩みを聞いた上で、途中で投げ出してはいけないと叱ったそうです。
当時はシオンさんもぽんきちもお互いにユニットを始めて間もない頃でしたし、お互いの悩みも相談していましたが、結局ぽんきちは1年半でユニットを辞めてしまったのに対し、シオンさんは現在もナカシオンで活動を続けています。
おそらく、来年彼らは結成10年になるのではないか?と思います。
ぽんきちはあっさり挫折してしまいましたが、彼女は強かったなぁ・・・と思います。
通常バンドというものはメンバーが多いこともあり、様々な理由で続かないこともあると思いますが、その点アコースティック・ユニットの場合はメンバーが少ないので続きやすいとは言えます。
それでも10年続けるのは容易なことではありません。
ぽんきちの身近にも10年以上続いているユニットが少なからず存在しますが、彼らも転勤や家庭の事情など、様々な障害を乗り越えてきたに違いありません。
彼らに対しては純粋に敬意を表したい気持ちになりますが、ユニットが長く続く最大かつ唯一の要因は、お互いの相性の良さに尽きると思います。
現在のぽんきちユニット、レイぽんとTeTeも決して順風満帆であったわけではなく、どちらのユニットも解散の二文字が出た時期があったのです。
ぽんきちとレイさん、ぽんきちとなっちゃんがどうやってその危機を乗り越えてきたかは、この場で話すことではないと思うので詳しくは語りませんが、敢えて言うならばお互いの信頼関係ですかね。
ぽんきちはレイさんを信じているし、なっちゃんを信じています。
普段二人に会うのはライブ当日くらいなんですが、常に会っていなくても信じるという気持ちは変わりません。
信じるとはどういうことかと申しますと、ユニットの相方として信じているということです。
誰よりも歌が上手いとか、誰よりも情熱があるとか、そんなことは思っていませんで、ユニットとして真っ直ぐに音楽に向き合っているということが大切なんです。
それ以外のことはあまり重要ではなくて、ただひたすら純粋に一緒に奏でること・・・ぽんきちはユニットは純粋であるほどいいと思っています。
核となる純粋な想いがあった上で、それぞれに音楽的な成長ができることが理想ですし、だからこそユニット以外の音楽活動も認め合う関係になれているのです。
レイぽんは7年、TeTeは5年という歳月が流れましたが、叶うならば10年続ける覚悟を持ったユニットとして確かな存在感を持ち続けたいと願っています。
最後に、10年続ける覚悟を持つことの大切さをぽんきちに教えてくれた人がいます。
ブロガー&カメライター(カメラマン兼ライター)のかさこさんです。
写真はかさこさんの5作目となる「かさこマガジン」で、先日ぽんきちのもとに届きました。
彼は2000年から15年間もほぼ毎日ブログを更新し続け、好きなことを仕事にすることの大切さ、その意義についてずっと発信し続けています。
ネットで情報発信する有効性を熟知している彼が、セルフブランディングの最強ツールと位置づけているのが「かさこマガジン」という紙媒体のセルフマガジンです。
詳しくはネットで検索して頂くとかさこさんのブログやホームページは閲覧できますが、彼の凄いところはこの「かさこマガジン」を1万部以上、自費で100万円以上かけて制作し、希望者に無料配布していることです。
しかも、そのほとんどが在庫切れになるほどのニーズがあるという・・・
ぽんきちも今回初めて郵送してもらい、拝読させて頂きましたが、御自身の活動のPRをしっかり載せていながらも、我々にセルフブランディング術をわかりやすくレクチャーする内容になっています。
ぽんきちは彼の活動理念には個人的にとても共感するものがあり、まずは彼のように毎日ブログを更新することから始めようと決心するきっかけを与えてもらいました。
10年続ける覚悟を持つこと・・・実際にそれを実践し、寝食も忘れて打ち込める大好きなことがあるならば、それは誰にでもできるはずと発信し続ける彼のブレない生き方は、ぽんきちに人生を見つめ直す勇気を与えてくれています。
ぽんきちは仕事ではないとは言えども35年間も音楽活動を続けている・・・これは紛れもなく大好きなことの証しです。
大好きなことで人生をより充実させることができるならば、10年続ける覚悟を持って行動を起こすことは意味のあることだと思います(^-^)
ギターアレンジについて・その2
http://milkysionray.seesaa.net/s/article/407905041.html
ギターアレンジについて・その1
今日のブログは前回の続きです。
ここで書く内容は、ぽんきちのアコギアレンジについてですが、これを参考にしてくださいという気持ちは全くありませんで、アレンジはあくまでもギタリストその人の個性です。
ぽんきちの場合はこうしていますという程度のものとして読んで頂けたら幸いです(^-^)
ぽんきちは理論的なことがよくわからないのでアカデミックな説明ができません。
そこで、ぽんきちがよく使うアレンジパターンをいくつか書き出してみたいと思います。
まず、カバーする曲が決まったら紙に簡単なコード譜を書きます。
ネットで調べて見つかればそれを参考にしますが、見つからない場合も多いので音源を聴いてコードを拾います。
コード譜ができたら音源はもう聴きません。頭の中に流れる歌のメロディーと目の前にあるコード譜だけでアレンジを考えていきます。
音源を聴かないのはオリジナルのアレンジに影響され過ぎることを避けて、なるべく自分のオリジナリティのあるアレンジにするためです。
コード進行は部分的に変えたりします。頭の中に流れる歌メロが自然に聞こえるならば、カバーなので自由にコードを変えるのもOK!それは個性になります。
そして、ぽんきちの場合はオリジナルと同じコードをすべて使うことはまずありません。要所要所でテンションコードにしたり分数コードにします。ベースラインの流れで分数コードに置き換えることは多々あります。
そして、ぽんきちアレンジの最大の特徴が開放弦を絡めるパターンです。
例えば、よく使うのが2フレットバレーコードのBm7で1弦と3弦は開放で鳴らします。これでベース音を6弦の開放で鳴らすとEm7のコードとして使えたりします。
ぽんきちは開放弦を絡めるコードと分数コードをほとんどの曲で使っていますが、これには理由があって、アコースティック・デュオの場合は伴奏がギター1本だけなので、これらのコードを使うことで広がりのあるコード感を出せるからです。
それと、この浮遊感のあるコードの響きはぽんきちユニットの特性にマッチしていて、特にTeTeのフワッとした空気感などにはとてもよく合うのです。
いろんな場面で開放弦を絡めるわけですが、開放弦を絡めるとそのコード名がわからなくなることが多々あります。ぽんきちは譜面が書けない(読めない)のでコード譜面も特に作らず、ライブでは譜面台は使わずに演奏しています。
体に覚え込ませるわけですが、それ故にライブ中に突然記憶喪失になった時にはとても困ります(^_^;)
あとはリズムですが、ぽんきちは基本的に自分が心地良く感じるリズムを採用しています。
例えば、「卒業写真」という曲がありますが、レイぽんではハイ・ファイ・セットではなく荒井由実のバージョンを意識してアレンジしています。
ユーミンの卒業写真はティンパン・アレーが伴奏していますが、バラードなのにリズムが跳ねているように聞こえます。これがとても心地良く感じるんです!
どうやら、ぽんきちは跳ねたリズムが心地良く感じてしまうギタリストみたいなので、無意識のうちにそういうリズムでアレンジしてしまう癖があるようなんです。
そして、跳ねたリズムだとぽんきちがよく使うテンションコードや分数コードのノリがいいような気がするんですよね・・・だからいつもそんな感じになってしまうのです。
しかし、ぽんきちはロックギタリストなので、テンションコードや分数コードを多用してもイマイチお洒落になりきれないのです(・・;)
どうしてもロックテイストが入ってしまうというか、お洒落過ぎるギタリストには絶対なれないと自己分析しております(^_^;)
それが所謂ぽんきち節のアレンジなんだろうなぁと思っていますが、今回はぽんきちアレンジの一部について紹介しました。
また気が向いたらこのテーマで書くかもしれませんが、とりあえず本日はここまで(^_^)ノ
レイぽんライブのお知らせ(Live Bar i&i)
12月13日(土)福岡市中央区清川1-10-14-2F「Live Bar i&i」
オープン 19:00
スタート 19:30
チャージ2000円(1ドリンク込み)
[出演ミュージシャン]
レイぽん
Lou's Party Core
INN6
http://greens.st.wakwak.ne.jp/905911/menu5.html
Live Bar i&i
今年最後となるレイぽんのライブは、清川のサンロード商店街にある「Live Bar i&i」です♪
共演するLou's PartyもINN6も仲の良い音楽仲間ですが、対バンライブは意外と少なくて、最近は年に1回くらいのペースですかねぇ・・・現場ではよく会っているのですが、久しぶりの対バンライブです。
今年のレイぽんは3曲の新曲ができましたが、今週末のライブで4曲目となる新曲を演奏する予定なので、割と量産できた年になりますね。
しかも、今年はチャレンジャーな曲ばかり選んで演奏したので気分的に新鮮でしたねぇ(^-^)
レイぽんの活動は来月で丸7年となり、来年は結成8年目の年を迎えます。
我ながらよく続いていると思いますが、レイぽんはぽんきちの音楽人生で最長寿のバンドになりました。
今年最後のライブも仲間たちと楽しい夜にしたいと思います。
お時間のある方はi&iにお越しください!よろしくお願いします(^_^)ノ
着物と方言とノラ・ジョーンズ
この娘さんは民謡の全国大会で優勝したのかな?
素晴らしい歌唱力ですねぇ(^-^)
しかも、山形弁でノラ・ジョーンズを歌うのも新鮮ですし、着物姿で撮影しているのもいい感じです♪
You Tube を見ると海外から投稿されたコメントもちらほらありますし、外人さんにウケるのも頷けます。
これからの動画はこういう工夫は大切だと思います。所謂コンセプトや視覚的な差別化をすることによって、ネット上に無数に存在する音楽動画の中で抜きん出る工夫ですね。
音楽的なクオリティに+αする何かがないとずっと埋もれたままだろうということは、さすがにこれまで100本近く動画をアップしたりされたりしていると気が付くわけです(^_^;)
ただ、動画をネット上にアップすることを前提にライブしていないので、+αする場合はそれを意図した専用の動画として作ることになります。
そんなことも考えながら活動することが
何かを変えることに繋がるかもしれないですね(^-^)
最小編成のバンドで表現すること
ぽんきちはアコースティック・デュオで2006年から活動していますが、これは最小編成のバンドで表現することにこだわっているからです。
弾き語りもやりなさいといろんな方から言われながらも、結局は基本的にアコースティック・デュオでしか活動していません・・・弾き語りは無理ですねん(>_<)
たまに数人編成のバンドでライブすることもありますが、それはエレキギターも弾きたいからです。
やはりバンドは楽しいですねぇ(^-^)
ギターとヴォーカルだけのデュオだと最低限の音でしか表現できない制約があるわけですが、そこに醍醐味を感じてすでに8年という歳月が流れました。
デュオという編成で難しいのは、音数が足りないと感じることはよくありがちなんですが、逆に音数が多いと感じることもあり得ることですかねぇ・・・アレンジに懲り過ぎるとそういう危険性もあると思います。
ぽんきちの場合は、基本的にシンプルなアレンジを心掛けています。ただ、せっかく二人でやっているので、それって弾き語りソロでも充分なアレンジなんじゃ?と思われるようにはならないように気を付けています。
この案配がとても難しいのです。つまり、単調過ぎてもいけないし、懲り過ぎてもいけないのです。
ヴォーカルの歌を引き立てていながらも、ギターの存在感もアピールできるアレンジがベストかなぁ・・・時々コーラスを入れたりもしますが、トータルとしてバランスが取れているユニットが良い表現ができていると言えるんでしょうね。
このトータルとしてのバランス感覚は二人のセンスによるところが大きくて、どちらかがプロデュースする場合はプロデューサーのセンスで決まります。
通常は二人で決めていくでしょうから、その二人のコラボが化学反応を起こすかどうかにかかっています。
ですから、誰と組むかでほぼすべてが決まってしまうのがデュオの面白いところです。
ぽんきちは今、レイさんとなっちゃんと組んでいるので、レイぽんとTeTeそれぞれの表現になっていますが、別のヴォーカルと組めば全く違うデュオが出来上がるのです。
この先の未来には、そんなまだ見ぬアコースティック・デュオが生まれるのかもしれませんが、それは今のようにガッチリ組んだユニットかもしれないし、もっぱらサポートとしてぽんきちが伴奏する複数のユニットになるのか、今はまだわかりません。
いずれにしても、最小編成のバンドでの表現はぽんきちのライフワークとして、これからもずっと追求していく音楽表現であることは間違いないと思っています。
シンプルであるがゆえの奥深さにぽんきちはすっかり魅了されてしまったのです(^-^)
ハイジの家にはお風呂とトイレがない
よく考えたら、ハイジがお風呂に入っているのも、トイレに入るのも、見たことない。
当時のヨーロッパにはお風呂に入る習慣もなく、トイレもなかった。
日本は江戸時代にはお風呂もトイレもあったと思うので、きっと日本人は世界一キレイ好きな民族に違いない。
今夜は職場の忘年会で、お酒も入ってるので、この辺で勘弁してくらはい(>_<)
高齢化社会とレイぽん
ベーシストのつぐさんが動画をアップしてくれました♪
いつものようにライブの出来映えはともかく、とにかく記録は残しておこうと思います。
レイぽんは40代以上のリスナーから圧倒的な支持を頂いていますが、当初は老若男女にウケるユニットを目指していました。
椎名林檎の「歌舞伎町の女王」やJUJUの「奇跡を望むなら」をカバーしたのは若いリスナーを意識した選曲だったのですが、ぽんきちの予想は見事に外れ、とにかく若者たちにウケない(>_<)
もう何をやってもおじさんたちにしかウケないわけでして・・・そのうちぽんきちはある悟りに達したのです。
これからの日本は超高齢社会の時代が訪れる。レイぽんは昭和歌謡もカバーするユニットなので、団塊の世代を中心とした中高年のリスナーから圧倒的な支持をされるのは悪いことではないのではないか?
1970年代の曲を中心にカバーしているので、彼らにとっては青春時代にリアルタイムで聴いていた曲が多いのです。
定年退職し、暇とお金を持て余したおじさまたちに愛されるユニットになれば、これからもレイぽんの需要はかなりあるのではないか?
来年はレイさんも50代になりますし、末永く愛される中年デュオとして、暇とお金を持て余したおじさまたちのために懐かしい名曲の数々をお届けする・・・もうこれに特化しちゃおうかな( ̄∇ ̄)
若者にも愛されるユニットを目指したぽんきちの夢はあえなく崩れ去りましたが、高齢化社会を逞しく生き抜くアコースティック・デュオとして、これからのレイぽんの未来を考えているぽんきちです(^_^)v
20世紀少年ぽんきち
青春時代とはいつまでを言うのか?
これは人それぞれの解釈があるでしょうね・・・50過ぎてもまだバリバリだぜ!って人もいるかもしれないし(・・;)
ぽんきちにとっての青春時代とはいつまでだったのか?
とりあえず人並みに結婚するまでだったとすると、2001年まで独身だったのでぽんきちの青春時代は20世紀の後半である・・・まさにぽんきちはリアルな20世紀少年だったのです。
昨日のブログでは、そんな20世紀少年ぽんきちのバンド人生に関わるエピソードを書きましたが、バンドを始めた、もしくはエレキギターを始めた理由は女子にモテたかったからという話をよく聞きます。
実際のところどうなのか?と、バンドマンではない人たちは気になるところかもしれませんが、ハッキリ言って全然モテませんでした(^_^;)
さらに言うならば、バンドをやってもやらなくても、モテる人はモテるしモテない人はモテないのです。
ここ数年で気になっているのは、ぽんきちの周りには美女が多いので、さぞかし若い頃から美女に囲まれていたんだろうと誤解している方々がかなりいるのではないかということです。
ハッキリ言って20世紀少年ぽんきちの周りは基本的にむさい男衆ばかりでしたねぇ・・・むしろ、21世紀になってからやたらと美女と知り合う機会が増えたので、自分自身驚いているのです。
この環境の変化は何ぞや?と考えてみたところ、どうもアコースティックの世界・・・特にヴォーカリストに美女が多いような気がします。
福岡はもともと美人が多い土地柄ですが、ぽんきちが特に仲良くなった県外のヴォーカリスト・・・ナカシオンのシオンさんや山葵マリちゃんもめっちゃ綺麗な女性でした。
アコースティックの世界にはなぜ美女が多いんですかねぇ(・・;)
10代後半から30代までずっとぽんきちはバンドでエレキギターを弾いていたのでむさい男衆に囲まれて生きていたんでしょうか?
昨日はライブバーの世界がこんなに素晴らしいものだと知って感激した話を書きましたが、それと並行して美女が多い世界であることも疑いようのない事実です。
あぁ・・・これで来年あたりからアコースティックギターを始める男衆が3割増しになるやもしれぬ( ̄∇ ̄)
何度も言いますがアコギを弾いてもモテません。
20世紀少年ぽんきちはアコギを15歳から、エレキを16歳から弾いていましたが、男衆に囲まれながら抜けの悪い青春を送っていたのです。
BOSSのOD-1のように中域がスコーン!と抜ける青春を送りとうございました。゚(゚´Д`゚)゚。
ぽんきちは淡白なので、この年齢になって美女に囲まれてもウハウハできないのです。数年前に淡白な人たちだけで飲み会をする秘密結社「淡白な集い」というグループを作ったくらいですからねぇ(^_^;)
当時はなぜか濃い人たちが周りに多くなってきていたので、たまには淡白な人たちだけで飲みたいなと・・・参加メンバーは公表せずに時々淡白な人たちと飲み会をしていたのですが、いつしか淡白に自然消滅したという(-。-;)
まぁよかよか(ノ^^)ノ
21世紀おじさんぽんきちは淡白にアコギ道を追求しますばい!!(o゚▽゚)o
横チンwithビガーパンツ
この曲を聴くと思い出すバンド名があります・・・横チンwithビガーパンツ♪(o゚▽゚)o
ぽんきちが20代の終わりに活動していたロックバンドです。
デザイナー志望のSちゃんがヴォーカルでぽんきちはベースを弾いていたバンドでしたが、彼女の希望でJUDY AND MARYのコピーをする残念なバンドでした(^_^;)
しかし、洋楽志向だったぽんきちはバラードはせめて自分の好きな曲がやりたいとお願いして、エルビス・コステロのAlisonをライブで演奏することができたのです。
コステロと言えば奥さんはジャズピアニスト&シンガーのダイアナ・クラールですが、ぽんきちは彼女のピアノ弾き語りが大好きです。ライブアルバム「Live In Paris」とかもう最高♪(ノ^^)ノ
横チンwithビガーパンツのデビューライブは西新JAJAというライブハウスでしたが、あの時ぽんきちは初めて女装して演奏したのです・・・なぜ女装したかと申しますと、洋楽ロックギタリストだった自分がJUDY AND MARYを演奏しないといけない現実に耐えられなかったからです(>_<)
もうね、別の自分になるしかないと思ったわけです。
友達の女子にちゃんとファンデーションと口紅を塗ってもらい、スカートとブラも借りて本格的に女装しましたが、ブラって窮屈ですねぇ・・・あんなものを毎日している女性は大変だなぁなんて思ったりしました。
あの時のビデオと写真はたぶんどこかにあると思いますが、まぁ二度と観ることはないな( ̄∇ ̄)
ぽんきちはもうすぐ51歳になりますが、若い頃に無茶なことはやっておくものですね。あんなバンドはもう二度とできないし、酔っ払ってバスの中で吐いたり、カラオケボックスでバンドメンバー(70年代ディスコソウルのバンドだった)のパンツをみんなで脱がせて写真を撮ったり・・・
当時のカメラはフィルムだったので、お店に現像に出さないといけなかった時代でした。
フィルムを出す時は可愛い女子店員が受け付けたのに、出来上がった写真を取りに行くと女子店員が「あ・・・」と言ってお店の奥に隠れてしまい、代わりに店長らしきおじさんが対応してくれました。
店長らしきおじさんの顔は明らかに引きつっていましたねぇ・・・カラオケボックスが酒池肉林になっていると思ったに違いありませんが、脱がしただけ!犯しちゃいない(^_^)v
若い頃ってなんであんなにバカなんですかねぇ・・・でも、なぜかあの日々が輝いていると感じるのが不思議だ(^_^;)
ライブバーで人生は劇的に変わる
5年前の今日、あなたの周りにいた人たちは今もいますか?
10年前の今日、あなたの周りにいた人たちは?
ぽんきちの場合ですと、5年前だったら今も周りにいる人たちはそれなりにいますが、10年前となるとほとんどいません。
つまり、今ぽんきちがリアルに交流している人たちのほとんどが10年前にはまだ知り合っていなかったのです。
8年前にアコースティックの世界で本格的に活動するようになってから、どのくらいかなぁ・・・300人くらいでしょうか?音楽関係で知り合った彼らとその後様々な交流を持ったり持たなかったりしながら今に至るわけです。
他県に転居して環境が変わったわけでもないのに、ぽんきちの人生は大きく変わってしまったわけですが、それはエレキギターをアコースティックギターに持ち替えたことがきっかけになりました。
一般的に考えてエレキをアコギに持ち替えただけでそんなに環境が劇的に変わるものなのか?という疑問はあると思います。
通常はそういう転向を図るギタリストは少ないので、ぽんきちのような経験をすることはレアなケースなのかもしれません。
ぽんきちの場合はずっとバンドでエレキを弾いていたのに、メンバーの転勤や音楽的な志向が合うメンバーが見つからなかったりで、バンド活動ができなくなったことが大きな要因でした。
エレキ時代はライブハウスでしか演奏していなかったのが、アコギに転向したことによりライブバーで演奏するようになったことが人生の決定的な変化をもたらしました。
ライブバーの世界は爆発的に人脈が増える要素を多分に持ったシステムになっています。
チケット制ではなくノルマのないチャージ制のお店がほとんどなので数多くライブできますし、ライブ終了後はそのまま共演したミュージシャンやお客さんと飲みながらの歓談が普通にできます。
そして、地元のプロミュージシャンと共演する機会も多く、クオリティの高いライブを経験することも普通にあります。
ライブバーの世界は、お店のスタッフ、出演するミュージシャン、そしてお客さんたちが密に交流できる場所であり、それまでライブハウスしか知らなかったぽんきちは「こんなに素晴らしい音楽世界があったのか!」と感激したのです。
しかし、一般的にはライブをやっていることを話すとライブハウスをイメージする人たちが圧倒的に多いような気がするのです。
一般の方々は生演奏は大きなホールかライブハウスで聴くものだと思っているんじゃないかな?
もちろん、そういう場所で音楽を楽しむことが普通なことはそれでよいのですが、もしライブバーで音楽を楽しむこともポピュラーな生活の一部になったら、音楽好きな人は人生がもっと楽しくなる可能性が高いと思います。
職業も年齢も性別も関係なく、ただ音楽好きというツールだけで無限に交流が広がっていくのがライブバーの世界です。
かつてのぽんきちがそうであったように、めっちゃ音楽好きなのにライブバーの世界を知らない人々はたくさんいるんじゃないかな?
そう考えると、この世界の潜在的な需要はかなりあるのではないだろうか?
好きなお酒を飲みながら、気の合う仲間と狭い空間で生演奏を聴く・・・その音楽がとても心地よいものだとしたら、音楽好きにはたまらない魅力ある場所になり得るとぽんきちは思います(^-^)