ぽんきちがこれまで20年以上してきた仕事は社会に必要であることです。だから直接誰かの役に立っていると実感できることもあったし、間接的に役に立っているのだと思えることもありました。
しかし、とても地味な仕事なのでどちらかと言うと間接的にしか感じられないことが圧倒的に多いわけです。
仕事というものはどんなものであろうとも誰かの役には立っている・・・だから報酬が貰えるわけです。
一般的に仕事が面白くないのは、社会に必要だから誰かがやらないといけないという宿命を持ったものだからかもしれません。
だから、仕事が面白いなんて贅沢な考えであって、仕事とはそんなに甘いものではないというのが一般的な考えだろうと思います。
更に言うならば、皆が自分の好きなことばかりを始めたら社会は機能しなくなるじゃないか!というのが彼らの意見でしょう。
もう一つの考えではありますが、視点を変えて社会を考えてみると、サービス業でその仕事が大好きでしている人と、生活のために仕方なくしている人と、同じサービスを受けるとします。
我々はどちらのサービスを受けたいと思うだろうか?
ぽんきちは同じサービスならば前者のサービスを受けたいと思います。
前者と後者のサービスの質は全く同じではないケースが多々あるのではないか?と思うからです。
それともう一つ、食品など製造業も様々ですが、安かろうよかろうで作られたものと、手間暇かけて作られたものと、どちらを食べたり使ったりしたいか?
ぽんきちは経済的な事情が許す限り後者を選びます。
貧乏な人は仕方なく前者を選ぶのでしょうけれど、大金持ちではなくても選べるくらいの金額ならばやはり後者を選びます。
できれば化学物質の少ないものを食べたいし、使い心地の良い永く愛用できるものを使いたいからです。
ぽんきちが望むものは、社会の中において生活のために仕方なくしている仕事から生み出されるものよりも、その仕事が好きでしている人々から生み出されるものが多いような気がするのです。
好きなことばかりしていては社会は回らない・・・本当にそうなんでしょうか?
趣味として好きなことをするというのは置いといて、仕事として考えた場合、そんなに皆が同じ仕事を好きになるものなんでしょうか?
誰かの役に立つからこそ報酬が生まれ仕事になる・・・自己満足では仕事にならない。
音楽が仕事にならないのは自己満足で終わることが多いからだろうと思うのです。
お金を払ってでもその音楽を聴きたいと思われる場合は仕事になるでしょうし、その音楽が必要とされれば仕事になるはずです。
それが生活できるまでの報酬を生み出せるかどうかはまた次元の違う問題となりますが、まずはシンプルに考えるとそうなります。
つまり、音楽を演奏するとか、音楽を聴いてもらうだけで生活するということは単純に考えても難しいわけで、まずは誰かの役に立つものでなければならないという前提が必須になります。
音楽は誰かを幸せにするもの・・・心の滋養となるものを届けられるかどうか?
それを考えなければずっと趣味の範疇は越えられないし、自分の音楽を理解できない周りが悪いと考えてしまうならば、趣味で続けていく分にはそれは何ら問題ありません。
音楽を仕事にしたいと考える人は生きるために仕方なくする人などいませんから、自分の好きな音楽と誰かに必要とされる音楽が一致する、その交わる部分をどれだけ作り出せるかにかかっていると思います。
先日、NHKのBSプレミアムではっぴいえんどのアルバム「風街ろまん」の制作秘話を番組で放送していたのですが、いろいろと考えさせられました。
文学的な歌詞とロックミュージックの融合という、日本で初めて試みられたアルバムが発表されたのが1971年でしたが、当時はほとんど売れなかったのだとか。
その後のメンバーたちの活躍によって「風街ろまん」は再評価され、今では日本初のロックアルバムとして認知されるようになった。
ユーミンとティンパン・アレーもそうですが、自分たちの好きな音楽を追求した結果が大衆にも受け入れられる・・・しかも、それは大衆的でありながらも限りなく芸術性が高い作品となっている。
誰もが理想とする音楽の姿がかつては存在していた・・・
音楽というものは本来はこうあるべきなんでしょうね。結局は自分たちの好きな音楽を追求することが誰かの幸せに繋がる。
それが実現できた時に音楽は幸せをもたらすかけがえのないものになるんだろう。
若き日の彼らもきっとワクワクしながら自分たちの好きな音楽を追求していたに違いない。
ワクワクすることをやろう。まずは自分たちが楽しまなければ意味がない。そして、それが誰かを幸せにできる道を探っていこう。地道に少しずつ前に進んで行こうと思います(^-^)
posted by ぽんきち at 2015/01/02 12:50
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