
https://www.youtube.com/watch?v=-KUFo6amX5c
かつて「十七歳の地図」というアルバムで一世を風靡したシンガーソングライターがいましたが、10代の頃って誰もが大人たちに対する怒りのようなものを持っていたと思います。
そんな多くの若者たちがかつて怒りの対象とされていたタイプの大人になっていく・・・あの頃は俺も若かったからなぁと感慨に浸る大人たちは多いわけで。
ただ、16歳の時に書いたという歌詞にメロディーをつけて歌っているこの青年の歌を軽くスルーしてしまう大人たちばかりだとしたら、ちょっと寂しい気もするのです。
純粋な彼らが憤っていたそんな大人たちに、なぜ我々はなってしまうのだろう?
教育だとか体制だとか、反発していたあの頃と違うのは、世の中に出て社会というものを知ってしまったことです。
10代の頃に反発を感じていた集団行動や規律というものは、大人になって社会に出ても同じように存在していて、我々はその中でルールに従いながら生きています。
子供の頃から刷り込まれてきたものは、青春期という一瞬に疑いを持つだけで、大人になるとまた従順な子供の頃のように生きるようになってしまいます。
それはなぜなんだろう?
生きるために?それが常識だから?
我々が生きているのは法治国家ですから法律や交通ルールに従って生きるのは当然だとしても、何だかそれ以上の縛りを感じながら生きている気がするのはなぜなんだろう?
法律の範囲内であればあとは自由なはずなのに、自分で息苦しくしてしまうのはなぜなのか?
いろんなことを我慢しているうちに10代の頃の憤りも忘れて生きてしまっているし、そんなことに疑問も感じないようになってしまうのです。
ふと気が付くと、家のローンでがんじがらめになっていたり、定年退職まで無事に働くことが目標になっていたりするのです。
あの頃に感じていた世の中に対する怒りなど思い出す暇さえもなく、ただがむしゃらに働く日々の中で、気になるのは子供の進路と相場の動向くらいになっていく。そのうちに健康問題や老後の資金なんかが加わって更にがんじがらめになっていくのです。
我々はなりたかった大人になっているのだろうか?
こんな大人にはなりたくないと思っていた。そんな大人になっていないだろうか?
最近の若者たちは・・・が口癖になっていないだろうか?
最近の若者たちは・・・ と嘆く大人たちが大嫌いではなかっただろうか?
いくら年齢を重ねても中身はあまり変わらないのが人間です。おいさん&おばさんになっても交通ルールは破るし、迷いもするし、嫉妬はするし、恋もします。
それなのに本当の自分に蓋をして生きることだけはとても上手になってしまい、それが大人になることなんだと言い聞かせてしまうようになります。
中身は本当はあの頃とそんなには変わっていないのにです。
10代の若者の戯言など聞いてられるか!と言う前に、かつての自分と重ね合わせるゆとりくらいは持っていたいのです。
もしかしたら、老害に効く薬は若者たちのそんな言葉の中にあるかもしれないからです。
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