世知辛い世の中を生きているからピュアなものを求めるのか?




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年をとると涙もろくなると言いますが、ぽんきちも例外なくおいさんになるほどに涙もろくなっているような気がします。

特にピュアな部分を刺激されるような話を聞いたり、ドラマや映画を観たりすると、自分でも呆れるくらい泣けてしまうわけです。

これって、今まで嫌なものを見てきたり、経験してきたことの反動なんだろうか?

おいさんになるほどに心の奥底でピュアなものを求めてしまうような気がして仕方ないのです。



現実の社会で生きていますと嫌なことはたくさんあります。

正直言って、何故こんな理不尽な要求をするクレーマーに丁寧な対応をしないといけないのか?とか

何故こんなバカの相手をしないといけないのか?とか

思うことがありますよ、ぽんきちだって。

仕事だから我慢しているだけであって、そうじゃなかったらブチ切れそうなことは何度となく経験するのが社会というものでしょう。

理不尽なクレーマーから顔に唾を吐きかけられた同僚だっていますからね、それでも俺たちは我慢して仕事をするんです。こっちが切れたらプロではないと自分に言い聞かせて。



多かれ少なかれみんなそのような経験をする職場で働いていると、自然とピュアなものを心の奥底で求めるようになるんじゃないだろうか?

ドラマや映画はフィクションだとわかっていても、心のどこかで浄化されたいと切望しているのではないか?と思うのです。

そして、仕事を離れたら、プライベートではせめてそんな世知辛いものとは縁のない世界で生きていたいと思う・・・だからぽんきちは音楽の世界から離れないし、大好きなことはピュアな部分で繋がることができる貴重な場所だと思える・・・そんな気がするのです。



だから、プライベートにおいてもなるべく妬みやひがみなどの負の感情からは縁遠い生き方をしたいという気持ちが強いのかもしれません。

負の感情は誰にでもあって、それが表に出てしまうのはある種人間らしいと言えるのかもしれません。

ただ、その反面、誰だって魅力的な人間になりたい、そういうオーラを持てる人間になりたいと思っているはずです。

例えば、SNSのイイネ!は承認欲求の象徴みたいなもので、誰だって他者から認められたい、共感してもらいたいと思っています。

但し、イイネ!の数とその人の魅力は全く関連性がないということは、しっかり自覚しながらSNSを楽しむのが大人であるということも肝に銘じなければいけませんが。



涙もろくなるのは一種の浄化作用だろうというのがぽんきちの意見です。

これまでの人生で辛いことも苦しいこともあった。悔しいことも悲しいことも・・・でも、それゆえに優しくされたことや温かく包まれたことの経験が、誰かに愛情を注がれた記憶が刺激されて、眠っていた感情を揺さぶるのだと思います。

だから、世知辛い世の中を逞しく生きる力を大人になっても持ち続けるためには、幼かった日々に注がれた愛情が根っことなり、それから大人への成長の過程で誰かから注がれてきた愛情の数々が糧になっていると思うのです。

これまでたくさんの人たちからピュアなものを知らず知らずのうちに与えられながら生きてきた・・・普段は忘れているそれらを思い起こすために、我々は年をとると涙もろくなるんだと思います。


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posted by ぽんきち at 2015/02/02 19:20 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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